夏休み読書案内

 自分で読んで面白かったものを中心に、夏休みの緑蔭読書 (なつかしい響きの言葉ですね) にふさわしい極私的読書案内を掲載します。

★永井 宏『夏の見える家』(角川書店)

著者は美術作家のようだけれども、どんな作品を作っている人かは知らない。東京を離れて葉山の海沿いに小さな家を借りて暮らしていた時期を振り返るエッセー。何ということはない海辺の町の日常が淡々と綴られているのだが、突き抜けた虚無感の漂う文章が何とも心地よい。暑い夏の読書には最適です。私が特に好きなのは「椅子の押し売り」の章かな。ある日、家に女性が自作の椅子を売りに来るという話なのだが、これだけで一編の短編小説の味わいがある。

★グレアム・スウィフト『ウォーターランド』(新潮クレスト・ブックス)

 Last orderでブッカー賞を受賞したスウィフトの傑作です。舞台は人と水が交じり合って暮らすイギリスの湿地帯フェンズ。中年にさしかかった歴史教師のトムの語りは、知的障害のある兄と父と暮らした子供時代から、フェンズを開拓した父方の祖父の時代にまでさかのぼる。過去と現在が交錯しながら、圧倒的な悲劇的終末へとなだれこんでいく展開は、息をつかせぬものながら、この文章を読む喜びが少しでも長くなるように、たびたびわざと読むのをやめて本をおいたものでした。湿地帯で過ごした子供時代の夏の思い出の場面など、水と土の匂いが立ち上ってくるような文章です。

 

★平出 隆『猫の客』(河出書房新社)

 『左手日記例言』(白水社)で読売文学賞を受賞した詩人の魔術的私小説です。作者が妻とふたりでとある屋敷の離れを借りて暮らしていたときに、近所の子猫が毎日のように家を訪ねてきた日常を描いている。これだけ聞くと単なる猫好きの書いた文章のように見えますが、そこは手練れの詩人のこと、ただの猫小説には終わりません。そこに展開される緑の濃い濃密な文学空間は、魔術的という表現がぴったりです。同じ作者の『葉書でドナルド・エヴァンズに』(作品社)もいいですよ。著者は無類の野球好きで、それが高じて『白球礼賛 - ベースボールよ永遠に』(岩波新書)という本まで書いてしまいました。私はまったくの運動音痴で野球に何の興味もないのですが、この本は楽しく読めました。

★本上まなみ『ほんじょの虫干』 (学習研究社)

 TVドラマ「眠れる森」でブレイクしたモデル・女優本上まなみの初エッセイ集。文章には書いた人の「体温」がそのまま現れるという見本のような文章です。この人はものを感じる「感度」がとてもいいのでしょう。作者は「鶯まなみ」の筆名で短歌を詠むことでも知られていて、この本にも「今となりゃ<つかまされたか>とも思う大きいだけのへろへろかいめん」のような、体の力がすべて抜けるような短歌が載っています。鶯まなみさんの短歌をもっと読みたくなった人は、思いつきで結成されたFAX短歌結社「猫又」の記録、穂村弘・東直子・沢田康彦『短歌はプロに訊け!』(本の雑誌社)をどうぞ。

★久世光彦『薔薇に溺れて』(新潮社)

 「寺内貫太郎一家」などで知られるTVディレクター久世光彦の本はどれも好きですが、これは「死」をめぐる78編からなるエッセー集。夏の光のなかで死を思うのもいいでしょう - Memento Mori 。 久世は徹底的に昭和という時代にこだわる人です。私はもちろん戦後の昭和しか知らないのだけれど、久世の昭和はそこに連続し、また父母の昭和でもあります。久世の文章は少し時代がかっていて、私には心地よく読める昭和の代表的散文だと思います。

★陣内秀信・福井憲彦『地中海都市周遊』(中公新書)

 私もそうですが、この夏どこにも旅行に行けない人におすすめ。建築学者陣内さんお得意の地中海都市案内でカラー写真が豊富です。マラケシュなんか行ってみたいですね。陣内さんの『南イタリアへ!』(講談社現代新書)、『ヴェネチア』(同)、池上俊一『シエナ -夢見るゴシック都市』(中公新書)を読んだ人は、何をさしおいてもイタリアに飛んで行きたくなるでしょう。私のおすすめはアマルフィとラヴェッロです。

★ナイチャーズ、垂見健吾『沖縄いろいろ事典』 (とんぼの本 新潮社)

 沖縄の衣食住と言葉を事典形式で紹介している本で、内容の濃さは第一級でしょう。写真も多く夏の読書として楽しめるのはもちろん、これから沖縄に行く人には格好のガイドブックです。私のような「沖縄狂い」になった作家池澤夏樹と写真家大竹昭子の「ナイチャーズ」(本土の人たち)の解説は、簡にして要。ちなみに私が最近作っておいしかった沖縄料理はナーベラーンブシー (豚の三枚肉とへちまのミソ煮)でした。夏の酒はもちろん泡盛です。先日21年ものの古酒を買ってしまいました。怖くてまだ口をつけていません。