インターネット言語学情報
      月刊『言語』(大修館書店) 2000年1月号掲載

人工言語・理想言語


 自然言語natural languageの対立概念に人工言語artificial language があるが、英語圏では最近constructed language (略してconlang)ということが多い。人工言語のなかでは特にエスペラントが有名だが、優れた概説書Andrew Large, The Artificial Language Movement, Basil Blackwell, 1985によれば、文献のみで確認されたものを含めてかつて作られた人工言語は800を越えるという。言葉の壁を越える必要性は現代でも決して減少してはいない。ヨーロッパ連合の莫大な翻訳費用を軽減するために、Philip Huntは1995年にEurolangという補助言語を発表している(http://www.vision25.demon.co.uk/eurolang.htm)。

 人工言語を作る動機は、言葉の壁を越えようというものだけではない。自然言語の曖昧さを排除した厳密な言語を作ろうという夢はデカルトにまで遡る。文学などの想像の世界でも言語は重要なテーマである。この分野では『指輪物語』の作者Tolkinに関するページが人気がある(http://www.dcs.ed.ac. uk/misc/local/TolkLang/)。Tolkinは自分の本のなかで Quenyaという言語を作っている。

 インターネットの普及に伴って、発表される人工言語の数は爆発的に増加した。その理由は、従来の印刷出版によらず、ホームページという簡便な手段で、自ら制作した人工言語を発表する人が増えたからである。現在では専用のメーリングリストconlangまであり、http://www.egroups.com/list/conlang/から加入することができる。

 趣味で人工言語を作る人をconlangerと呼ぶ。Mark Rosenfelderの Language Construction Kit (http://www.zompist.com/kit.html) は、conlangerのための人工言語制作の手引き書である。また人工言語を作るためのコンピュータ・プログラムまで公開されている (http://www.langmaker.com/langmake/index.htm)。

 現在インターネット上で人工言語関連のサイトは膨大な数にのぼる。Altavistaでconstructed languageをキーワードに検索すると、実に458件ものヒットがあった。

 まず最初にJoshua Shinavier作成のConlang Yellow Page (http://www.geocities.com/Athens/Crete/5555/conlang.htm)を見てみよう。300を越える人工言語のページへのリンクが張られている。Language Cobblers (http://www.spacelab.net/~dbell/cobblers.htm)もリンク集で、集められたリンクの数は少ないが重要なものを網羅している。Rick Harrisonの Artificial Language Lab (http://www.rick.harrison.net/langlab/index.html)には、人工言語の概念の概説、タイプによる分類基準、基本文献などの情報が充実している。James ChandlerのInternational Auxiliary Language (http://www.geocities.com/Athens/Forum/5037/ では、Novialの作者Jespersenの人工言語関係の論文や、絶版となっているCouturat & Leau, Histoire de la langue universelleなど、人工言語に関する基本文献を電子テキストで読むことができるのがありがたい。この他に、Chris Bogart (http://www.quetzal.com/conlang.html)、Richard Kennaway (http://www.sys.uea.ac.uk/~jrl/conlang.html)、 Herman Miller (http://www.io.com/~hmiller/languages.html) などのサイトが充実した情報を提供している。

 新しい言語を作ることがどうしてこれほどまでに人を魅了するのだろうか。言語の壁を乗り越えようとする真摯な熱意だけでは説明できない。Tolkinは自分の著作のなかで言語を創作することを secret vice と形容している。確かに新しい言語を生み出すという作業には、ある意味で自分を神になぞらえるという密やかな楽しみがあるのではなかろうか。また言語を専門に研究する者にとっては、Saussureのいうシニフィアンとシニフィエの関係を再考し、「意味の世界は果たして普遍的であるか」という困難な問題を考えるきっかけになることは疑いない。